「哲学」とは結局なんなのか?
自分から哲学について学ぼうとする人にとっては「哲学の必要性」は明白です。
哲学的な問題について思索を深めるために自ら哲学書を手に取るでしょう。
しかし、そうではない多くの人にとってはなぜ必要なのかよくわかりません。
「無くても生きていける」もので、「小難しい理屈」でしかありません。
さらに、高校生からすれば受験に必要のないものという泊もつきます。
では、なぜ必要のなさそうな哲学というものを耳にすることがあるのか。
なぜ倫理など社会科の授業では哲学を教えるのか。
そもそも哲学が何かを知らないのに「必要がない」と言えるのか。
ちょっと考えてみましょう。
なぜ「哲学は難しそう」なのか?
哲学を学んだことのない人に印象を聞くと九割は「難しそう」と答えます。
これは中学生から大学生、主婦から高齢者までみんなそうです。
考えてみてほしいのですが、まったく哲学を知らなければ難しそうかどうかなんてわかりませんよね?
ということは「難しそう」という人は少なからず哲学について知っています。
ただ、その内容が「よく分からない」から自分には難しいと感じるんです。
「よくわからない」→「哲学は難しそう」
こういう図式がありそうですね。
哲学は「よく分からない」?
哲学というと多くの場合はいきなりローマ時代に飛んで、
ホニャララテスのナントカ主義では善とはホゲホゲ
コレコレ主義の思想に対する弁証法としてウンヌン
と人の名前とか○○主義がいっぱい出てきて、よく分からないナントカ術とかナントカ法が波のように押し寄せます。
「いや、そりゃ分からんやろ」と私は思うわけです。
ドラゴンボールを知らない人にキャラの名前と必殺技、ポタラやフュージョンについてひたすら聞かせるようなものです。
そうではなくて、
「哲学とはそもそも何か」
こそ最初に知りたいことなのです。
哲学とはそもそも何か?
一言でお答えしましょう。
哲学とは「自分を知ること」です。
自分を知る、とは足の大きさや血圧を知ることではありません。
ではどういうことなのか?
好き・嫌いにはじまり賛成・反対など、人は何事においても何らかの「立場」を取ります。
そして、なぜ賛成なのか、反対なのかを人に伝えるとき、それは「主張」になります。
自分がどの「立場」かを知り、その理由を「主張」できるようになる。
それが「自分を知ること」です。
「自分を知る」=自分の「立場」と「主張」をハッキリさせる
そうは言っても具体的じゃなくてわかりにくい。
例を挙げて分かりやすくしましょう。
例:自然保護主義という立場
私は自然保護主義者(立場)ですが、その理由は自然発生的な生態系とその調和に美しさを感じるからです(主張)。
さらに、自然保護主義には「ナチュラリスト」と「ヒューマニスト」という2つの立場があります。
ナチュラリスト:人間を自然の破壊者と捉えて自然を保護するために活動を抑えて、人類登場以前の自然を理想とする。
自然中心の考えで、宮﨑駿さんはおそらくナチュラリストでしょう。
ヒューマニスト:人間が自然と調和することを目指しながら人間がより幸福になれることを理想とします。
人間中心の考えで、調和のためなら人間の手で自然を変えることも良しとします。
多くの人、というより現代社会はヒューマニスト的でしょうが私の立場はナチュラリストです。
理由を説明しましょう。
ヒューマニストは環境にやさしいクリーンな自動車やエネルギーによって調和を目指すと思います。
しかし、現代の文明的な生活は消費→生産というサイクルによって成立しており、生産のためには資源が必要なため環境破壊につながります。
本当の意味で調和できるころには「やさしくする対象」である自然環境が残っていないでしょう。
するとヒューマニストは「自分たちの手で緑を取り戻そう」といい、植林などで自然の回復を目指すかもしれません。
現代の生態学・生物学的には人工的な自然は自然発生的な自然のような豊かな生態系を再現できない、とされています。
つまり、一度破壊されてしまえば復元は不可能ということです。
私が最初に「自然発生的な生態系」と言ったのはこれが理由です。
と、少し長くなりましたが以上が私の「ナチュラリスト的自然保護主義」という立場の主張になります。
(実際には資本主義やネオリベラリズムへの批判もこめてナチュラリスト的立場です)
人によっては主張に説得力を感じて共感してくれたかもしれません。
反対に、具体的な解決策がないし理想論にすぎないと反感を抱いたかもしれません。
その「共感」や「反感」こそが大切なんです。
共感と反感
先程の私の立場や主張は、私が1から考え出したわけではありません。
自然保護主義、ナチュラリストやヒューマニストという立場は他の人が提唱したものです。
それらの考えに触れたとき、自分の中に共感できるものと反感を抱くものがどんどん貯まっていきます。
それを繰り返すうちに自分の「立場」がハッキリしてきます。
どうしてその立場なのだろうか、と考えはじめると自分の中にある色々な考えや知識が背後にあることがわかってきます。
先程の例では文明的な生活が環境破壊につながるといいましたが、それも経済学や生物学などの知識が背後にあります。
それらの考えや知識を整理して、自分の考えとして言葉にできたときに「主張」となるんですね。
まとめ
哲学とは「自分を知ること」でした。
自分を知るとは自分の「立場」と「主張」をハッキリとさせることで、自然保護主義の例を挙げました。
そして、立場と主張のルーツには「共感」と「反感」があることを説明しました。
共感と反感を繰り返してハッキリする立場、様々な考えや知識を整理・言語化して理由を説明する主張。
これらのプロセスによって段々と「自分がどんな人間か」がわかってくるんですね。
偉大な哲学者と言われる人々は、「自分を知ることを突き詰めると誰しもこの考えに行き着く」という考えをまとめました。
つまり、ホニャララテスたちは自分の立場と主張を何冊も本を書くほど考え抜いたのです。
それがあまりに優れていたため評価され、今の時代も語り継がれているんですね。
随分長くなりましたが哲学とは何かを知って、自分との関係を考えるきっかけになれば幸いです。