ベルマークのない自由帳

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有益と無益の境界例

基本的人権と自然権の違い

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(source:freepik)
 
Googleで検索して知恵袋あたりを見れば
 
基本的人権 = 国家が保障する人が生まれながらにして持つとされる権利
自然権 = すべての人が生まれながらにして持つ権利
 
と、大体は基本的人権は国家が、自然権は神が与えると書いてあるのではないでしょうか。
ただ
「え、基本的人権は国家が認めてるけど自然権は誰が認めてんの?」
となるわけです。
万人が神様を信じてご神託を賜っているわけではないですからね。
 
そこで、すご〜くかんたんに整理してみました。

自然権

話は18世紀頃まで遡ります。
国王が「神によって力を授けられたのダー」といって国を私物化していたのは記憶にあたらしいですね。
当時は国民の生活なんて現代の野良猫以下のもので、人間としての尊厳が蹂躙されていたわけです。
怒り心頭の国民が革命を起こして、
「どこの国王もほぼほぼクソ。人間まじ尊い。」
という考えに至りました。
 
そこで生まれたのが「人間としての尊厳を守るための最低限の権利」というものです。
そう、これが「自然権」です。
基本的には生命自由財産を保障する権利です。
これらの大切さは感覚的に理解できますよね?
ある意味で自然権を支えているのはその「感覚」ともいえます。
時代が時代なので「神から与えられた絶対的なもの」と考えるのが自然でした。
(その点は王権神授説と変わらない)
 
そして、国家とは「人々が自然権をより良く守るための約束をしてつくったもの」という考えも同時に生まれました。
このときの約束を「社会契約」というんですね。
一度整理しましょう。
 
自然権 = 「人間としての尊厳を守るための最低限の権利」
社会契約 = 「人々が自然権をより良く守るための約束」
 

基本的人権

基本的人権の前に憲法の話をしておきましょう。
ここまでの話が理解できていれば一言で済みます。
憲法とは「社会契約を文章化したもの」です。
かんたんですね。
 
ただ、国によって憲法の内容は異なっています。
さきほど国家とは「人々が自然権をより良く守るための約束をしてつくったもの」と言いました。
集まる人々が異なれば「自然権をより良く守れる約束とは何か」という考えも当然異なります。
 
その中で「こういった人間としての基本的な権利がなければ、自然権は守られない!」とされたものこそ、
基本的人権なんですね。
(思想・信教の自由など自由権はどこも似通っていますが、生存権参政権になってくると国家によってかなり異なってきます)
 
自然権基本的人権をまとめましょう。
 
自然権 = 人間としての尊厳を守るための最低限の権利
基本的人権 自然権を守るために必要な人間としての基本的な権利
 
歴史的な反省から生まれたのが自然権で、憲法(社会契約)の根本にある「思想」とも言えます。
それをしっかりと守るために作られたのが基本的人権、ということです。
 
おまけ(立憲主義)
自然権をふくめた様々な約束事を盛り込んだ憲法ですが、私達の代表である政府に守ってもらわなければ意味がありません。
そこで、「政府は憲法を守らなければいけない」ということにして国家を作ろう、となりました。
この考えが近代立憲主義なんですね。
近代立憲主義のエッセンスは、「国民主権」「基本的人権の尊重」「法の支配」です。
 
 
自然権、社会契約、憲法(と立憲主義)は切っても切れない関係にあります。
日頃聞きなれない言葉ばかりなのでややこしいですが、Tシャツにプリントされている「GOD SPEED HELL FIRE」みたいな言葉よりは意味がありそうですね。